〔由来〕 御蔵入とは、正式には「南山御蔵入領」といって、寛永20年(1643年)から幕府直轄地となった。その領域は広く現在の南会津郡全域、栃木県藤原町の五十里湖までの領域であり、約五万五千石の石高であった。この中に、19組、271ケ村があり田島に代官所が置かれ、田島は中心地であった。 そして、年貢米は直接江戸浅草にあった幕府の米蔵に納めたのである。年貢米は馬につけ鬼怒川沿いの阿久津川岸迄運び、それより船で鬼怒川→根川→荒川→東京湾→隅田川→蔵入れという順路であった。 また、会津藩としても江戸屋敷に送る廻米が毎年11万俵〜12満俵を送る必要があり、白河通り6万俵、南山通り5万俵位ずつ送っておった。 この御蔵入領に「三十三観音札所」を定めたのが元禄11年(1698年)である。会津三十三観音札所が設けられたのが寛永20年(1643年)である。それから55年御蔵入り地方にも札所設立の気運がが高まり、元禄11年(1698年)ついに三十三霊場の設立にこぎつけたものと思われる。下山村の法印「鏡渭を導師として、和泉田の仲山玄光堂を札打納めとした。その行程は四十五里三十一丁に及んだ。 札所を定めるにあたり、江戸代官「依田五兵衛」宛に願いを出して許可を得ている。

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